復興へ遠いゴール―三陸被災地

2014年07月17日

 東日本大震災被災地の宮城県気仙沼市を訪ね、 地元紙、 三陸新報社の渡邉眞紀専務の案内で岩手県陸前高田市、 大船渡市を回った。 気仙沼は4度目の訪問で、 昨年6月に本紙読者と共にツアーをして以来、 1年ぶり。 各地とも沿岸部の地盤かさ上げ土砂がそこここに積み上げられ、 復興事業は進んでいるように見えるが、 まだまだ相当の年月が必要との実感を新たにした。

 最も衝撃を受けたのは、 陸前高田市の町じゅうに張り巡らされた、 かさ上げ用土砂を運ぶベルトコンベヤー。 平野部が広い上、 長い間口をもろに津波に襲われほとんど全域が壊滅した同市では、 海岸に12.5メートルの防潮堤を築き、 公園や畑の緩衝地帯を設けた背後に9~14メートルもの盛り土をして新しい市街地を作る計画だ。
 膨大な量の土砂を数キロ後方の丘陵地帯を削って運んでおり、 昨年来た時もダンプカーが土煙を上げて走り回っていたが、 今は巨大なベルトコンベヤーを縦横に設けて送り込む。 見上げるような橋脚の上をコンベヤーが走る光景は、 まるでアニメに登場する未来の人工都市開発のようだ。 昨年来た時、 70歳の筆者と同年代の語り部の實吉義正さんが 「新しい町が出来る頃には、 私はとっくに死んでますよ」 と話していたのを思い出した。
 7万本の松原で1本のみ流されなかったものの、 遂に枯死しモニュメントとして残った 「奇跡の一本松」 が、 コンベヤーの橋脚のかなたに心細げに立っていた。 コンベヤーが加わって今なお多くの観光客を集めているが、 「これが観光になるなんて、 悲しいですよね」 と渡邉さんが漏らした。
 気仙沼港の後背地でもあちこちで盛り土の工事が進んでいるが、 完了した地区でも境界確認などに時間がかかり、 事業所の着工にこぎつけたのはわずか。 内湾の仮設商店街は賑わってはいるが、 当初3年間の期限付きだったのが、 区画整理も絡み店舗の移転先がほとんど決まらないため、 さらに2年延長された。 「気仙沼商工会議所管内の事業所で営業が再開できたのは71%にとどまり、 いまだプレハブなどで営業しているのが4割。 仮設住宅から移る先の災害公営住宅の完成も遅れている」 と6日付けの三陸新報が報じていた。

 大船渡まで足を伸ばすのは初めて。 地元紙の東海新報社を訪ねる。 この町は港の近くまで丘陵が迫る地形で、 高台の部分は被災を免れた。 同社も以前から高台に移転していたため大きな被害はなく、 さらに震災の前年に1千万円をかけて自家発電装置を設けていた。 おかげで震災時も 「軽油の確保に苦労はしたが、 通常通りに輪転機を稼働出来た」 (伊藤泰裕総務局長)。 見せて頂いた震災翌日以降の紙面には連日、 数ページに渡って避難者や犠牲者の名前がくわしく並んでいた。
 同紙も、 輪転機は止まっても自動車バッテリーでパソコン出力して避難所に配った三陸新報も、 現在はほぼ以前の発行部数を回復している。 非常時にも使命を貫く姿勢が読者の大きな信頼を集めていることを、 痛感させられた。
 同行した両丹日日新聞社 (福知山市)、 綾部市民新聞社の勝方努、 高崎忍両社長と共に、 気仙沼湾の先にある大島に向かい、 浜のそばの林の中にある 「みちびき地蔵」 に参拝。 江戸時代から伝わる、 早めに裏山に逃げて津波から助かったという母子の昔話に因む3体の木製の地蔵で、 津波にお堂ごと流されてしまっていたのが、 綾部市民新聞社の呼びかけで同市民らの寄金で再建された。
 震災時、 「陸の孤島」 になった大島では、 以前から本土との架橋を望む住民が多く、 三陸自動車道が気仙沼湾をまたいで北伸するのに合わせて、 架橋工事も着工された。 ただ、 美しい浜辺を持ち、 気仙沼の観光の目玉だった同島が通過地になってしまうと心配する民宿業者も少なくない。
 案内して下さった気仙沼大島観光協会の白幡昇一会長は 「膨大な資金をかけて復興や防災事業が進んでも、 一番大切なのは、 みちびき地蔵のような伝承を大切にして、 『津波にはまず逃げるのが一番』 という感覚を子どもの頃から身に付けさせることですよ」 と話したのが、 心に残った。
 

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